2007年03月24日
AサインとB円
さっぽろ島うたの会はコバ宅の2階で三線教室を行っています
その2階へあがる階段の壁に
Aサイン・バーの許可証とB円が飾ってあります
どちらも戦後沖縄の米軍統治時代のものです
Aサインは米兵が入場できる娯楽施設の許可証で
Wikipediaでは
「米軍による衛生基準に合格した業者に与えられた。Aサインの「A」は「Approved(許可済)」の頭文字で、公認の店舗は許可証か「A」の表示を店頭に掲げて営業した。
一時、権限を琉球政府に移譲したが、再度米軍に移譲された。衛生基準はかなり厳格で、多額の設備投資が迫られた。
復帰直前の1972年4月15日に廃止された。」と説明されています。
Aサイン
講習会受講証
施設開設許可証
3つ揃ってAサイン施設として開店できたそうです。
そしてB円
B円とは米軍占領時下の通貨
Wikipediaでは
「アメリカが沖縄を占領した直後は、どの通貨も流通せず、取引は物々交換で行われていた。1946年4月15日、アメリカ軍は自らが発行するB円を公式通貨とした。その後、1946年8月5日からは若干の条件付きで新旧日本円の流通も認めた。終戦直後の沖縄においてはこれらの通貨が混合して流通していた。
しかし、アメリカ軍が沖縄を恒久的に統治することになると、1948年7月21日に新旧日本円の流通は禁止され、B円が沖縄で流通する唯一の通貨となった。このときは、7月16日から21日にかけて、日本円とB円の交換が行われた。
当初は 日本円1 円 = 1 B円 が公定レートであったが、1950年4月12日に日本円 3 円 = 1 B円(1ドル=120 B円)となり、B円が廃止されるまでこのレートが使われた。
B円だけを使用させることにより、米国民政府は、沖縄での通貨の流通量を統制することができた。当時の公定レートは1ドル=360円であったが、1ドル=120B円という、日本円に比べ割高なレートがとられたのは、アメリカ軍が基地建設や駐留経費などを日本企業に支払う際に有利な条件にするためだったといわれている。これにより日本本土から安価で資材を調達することができたかわりに、沖縄の経済は空洞化した。また、本土系企業の進出をも遅らせる理由になった。
当時の朝日新聞によれば、1953年12月25日現在、実際の通貨としての価値は1 B円=1.8 日本円程度だったという。
1958年9月16日から20日にかけて、アメリカドルへの通貨切り替えが行われ、廃止された。
A円も実在するが、これはアメリカ軍基地間での決済のみで使用され、外部への流出は禁止された。ただし、多少は流出したものがあり、残っている。アメリカ軍の軍票は、このほかドル建てのものも存在した。」と説明されています
なにげなく登っている階段ですが
少しでも沖縄の過去・現在を知ってもらおうと、いろいろ工夫しています
沖縄が背負わせられた大和のツケ・負の遺産
それは過去のことではなく、米軍基地問題など今でも続いていることです
教室への階段を登るとき今一度ゆっくりと足を止め
これらのものから何かを感じ取ってもらえれば幸いです
Posted by コバ at 11:56│Comments(0)
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