自分と向き合う

コバ

2006年07月16日 15:38

八重山民謡を勉強していると
声を前に出すという発声法が必要不可欠であり
歌うことそれ自体に哀しみと凛とした雰囲気が伴ってくることに気づく

それは歌の内容・背景に人頭税時代の過酷な生活や
理不尽な役人による強制移住(島分け)などの政策が
数多く歌いこまれているからではないだろうか
恋の歌の数より、生活の唄が圧倒的に多いのも八重山うたの特色だと思う

この発声法は単にフィジカルな面で構成され成り立つのだろうか(いわゆる発声の仕方や技術と言う面)
否、メンタルな部分も、また相当多くあるのだと思う

現代日本に居ては、経済も発展し娯楽も多く享受できる
嫌な事があれば気分転換する道具は沢山ある
過酷な人頭税時代に比べると
当時の人々の辛い気持ちを半分も体感出来ないのかもしれない

けれども人間の感情・心の働きは、また普遍的なものである
昔の人の苦しい生活や気持ち
その内容を考え共感しながら歌おうとするには
相当に自分自身の内面と向き合わざるを得ないのではないだろうか

しっかりと自分と向き合う
そういう姿勢が歌にはっきり現れてくる

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